【 第三部 母の遺作 短歌 】 

 

聴診器ひとつに夫はきたへ上げ肺炎結核音に診断す

 

学了へし子の土産なる宮崎の埴輪息付くバラを飾れば

 

目の洞の暗さを怖れ幼らは埴輪嫌ひて横向き通る

 

滑稽とも気味悪しとも見ゆる顔埴輪の目口に薄ら陽の差す

 

ぽっかりと埴輪大きく口開き春花盛りの故郷を呼ぶ

 

身震ひて薄雪落とし沈丁は春待つごとく(つぼみ)背伸びす

 

天秤に計れぬもののあまたありたとえば人の心といのち

 

艶然と白拍子花子舞い治め鐘に入りたり道成寺は春

 

子坊主の誦経に鳴物ドロドロと蛇身の花子鐘よりを出づ

 

コルセットの縛逃れたる夜にしてご苦労さんと声出して言ふ

 

足腰の早く癒ゆれよ海を見に又連れ行かむと夫も春待つ

 

明治より平成までを絵筆とる遊亀画伯の絵みな瑞々し

 

()()画伯の気迫とロマン醸しゐて「洋壺(ヨウコ)」静謐菖蒲を生けて

 

些事なれど病めば適はぬこと多したとへば分別ゴミの仕分けも

 

赤ちゃんの肌に(ハタ)きし天花粉(てんげふん) 汗疹(あせも)に塗らむ柔き匂ひを

 

わが腰にコルセット新たに作らむと型とられゐつひょろひょろとして

 

コルセット作りかへんと石膏で型とられをりひょろひょろとして

 

コルセット技士の若きが二人して胴締めあぐるサランラップで

 

コルセットの型とる石膏厚く塗り技士は「おばあさん」を連発なせり

 

「きついことしてごめんね」と釧路なる鶴の写真を技士はくれたり

 

気負ひなく百歳越えて画を描き小倉()()さんふと逝き給ふ

 

 

―― 最晩年の手帳より 乱れる文字にて ――

 

ほこらかに一粒づつがかがやけりさくらんぼう名は赤き恋人

 

糸切れてはらはら数珠の珠散れり不吉なるもの心よぎりぬ

 

鬼の角心にもてと夫は言ふ優しすぎても霊に見込まる

 

心根のやさしき人に魔は寄るとふ鬼の面つけ強くなれと夫

 

骨折の治癒を祈りて母、子、友 お守り受け来て枕辺に積む

 

縫合の皮膚の血流悪しとて再度の手術と聞くも口惜し

 

白衣脱ぎ帰るナースはやはりギャル髷とき長き髪振り揺らしゆく

 

入院も三月に渡る長丁場 勝つより負けるな夫のはげまし

 

膝の皿巻きしワイヤーもはづされて元の木阿弥ピノキオの足

 

持ちくれし嫁の心が秋の花秋明菊とりんどうの花

 

病衣など濯ぎて日毎通ひ来る近き嫁よし遠き子よりも

 

祈るより他にすべなし骨のオペやり直しと聞けばなほも恐れる

 

ホームステイ歓迎パーティに浴衣着てのぞめば人気は赤いこまげた

 

中学の女孫の行きしホームステイ カナダの人は心広しと

 

晩夏なる朝の庭に芙蓉咲く一粒づつの露を宿して

 

入院のストレス徐々に重なりつ勝つより負けるなと己励ます

 

西空に立ち昇りくる夕焼けの朱と紫 木曽山覆ふ

 

風水にわがラッキーカラー黄色とぞ嫁が求めし黄の花に埋る

 

初回より再度のオペはなほ恐し失敗はもう許されぬゆゑ

 

屋上へ息子は誘ひけり車椅子押して名月吾に見せむと

 

天皇もなされし麻酔耳元に云ふ安心と外科医の息子

 

酔ふほどにメープル匂ふクッキーは日本にない味塩味効かせ

 

カナダより孫の購い来しクッキーの蜂の口なるメープル匂ふ

 

闘志にも似たる情熱内に持ち小柄な長女点訳励む

 

観覧車光の轍になり廻る臨港公園夜の空高く

 

 

―― 平成十二年十月 亡くなる二カ月前 ――

 

打水も良き慣習(ナラハシ)の高山の路地の軒ごと朝顔青き

 

高山の三之町なる(カウ)(ミセ)朝涼しきに麝香(じゃこう)(くゆ)らす

 

緋毛氈敷きて(ミヤビ)に香を売る銀葉、梅皿、小道具も

 

高山の香舗に聞けり香遊び案内(アナイ)の主は白髪の人

 

白檀の幽玄の香にたゆたひて憶ひつつゐき平安の代を

 

一粒の水を抱ける里芋の広葉支へ茎は無碍(ムゲ)なり

 

絵手紙の紫芙蓉あなさやか義姉の落款でんと捺されて

 

命あるうちにと微熱ある母が語部(カタリベ)のごと自が過去宣らす

 

一面の大根畑のかき消えて旧御器所村マンションばかり

 

漬物屋あまた並ぶに店閉ぢて御器所大根神話のごとし

 

肩パット薄く入りしパジャマ着てひと夜肩の荷下りぬ心地す

 

鼓笛隊内耳狭しと行き交ふは何の異変か耳鳴り止まず

 

水無月の風に乗り来るメールマン角っこ曲り手紙仕分ける

 

手紙待つ吾を焦らしてメールマンこの三丁目の郵便(くく)

 

午後四時にポストの手紙を受取りぬ郵便屋さんの温み残るを

 

フェンフェンと三たび瞬きあかり消ゆ臥して本読む戒めのごと

 

人の意のおよばぬ天の摂理なれ潮の満ち干も生るるも死ぬも

 

炊き込めば赤豌豆(えんどう)の香のよろし藤色染みて飯の美し

 

豌豆の(つる)に手を添え伸ぶを待つジャックも待たん天に登ると

 

カセットのテープ一巻街路樹に絡まりなびく風の意のまま

 

 

 ―― 亡くなる半月程前 父の代筆、口述筆記 病院より投稿 ――

 

孫の佳世テスト終へしと見舞に来 獅子座、白鳥、メズウサ語る

 

天体を極はめんとして孫の佳世熱く語れり宇宙の夢を

 

一枚の平な紙に戻れない病魔が握る(かみ)(つぶて)われ

 

病室へ逝きし母より糸電話しかと聞きつつ遠しと思ふ

 

息はげし心臓をどるわが病 臨死体験白き花散る

 

富美子詠む蓬莱の島温きとふ近くに見えて遠きところぞ

 

 

  ―― 晩年のメモ ――

 

咲きみてる桜をつつむ夕つ(もや)さだかならねど濃淡を織る

 

魂のみそぎのごとし落花舞ふ白き闇をば分けつつゆけば

 

顔洗ふことも立ち居もままならぬ腰痛たふたふ吾にも来たる

 

怠惰にて過ぎしひと日の夕厨より細く細かくキャベツを刻む

 

巡りゆく蓮池の花いまだ見ず水面に写す白きパラソル

 

実柘榴の土を叩きて砕けたり赤きガラスのかけらのやうに

 

夫子らに与ふるのみに過ぎて来し老いゆく冬をやさしさの欲し

 

はらはらと花びら崩し椿落つ雪つむ土に散華のごとく

 

春くれば長けて廻れよ矢車草意志もつ風が触れてゆくとき

 

荒れ山を開墾(ヒラ)きて町となす道に枯れしゑのころネオンに浮かぶ

 

大地はや春の温みを持つならむ汲む井戸水の手には優しき

 

星草を摘まむと来たる湿原は底なしの沼わが足捕ふ

 

すずなりの黒き実残し枯枝を張る百日紅(さるすべり)夕影に立つ

 

恐れたる癌の疑い晴れし夜は(ノミド)素直に通る飲食

 

町角を曲がる一瞬風おぶる強き雨足わが頬を打つ

 

甥を()ぎ帰途に寄りたる娘の母校二松学舎今も国旗掲ぐる

 

在学の娘が通ひにき靖国の桜並木に今日あられ降る

 

ほんのりと紅色宿す沈丁の蕾は春の心持つらん

 

地しばる雪も解け初め芽吹き出す小さき水芭蕉清々なりき

 

残生の幾年ありやなしやとて白き西瓜の種に占ふ

 

欲しきもの服もバッグも購へと言ふ優しくなりし夫無気味なり

 

病む人の貌とは見えね自らを鏡に写すパントマイムして

 

眠り姫ならぬ眠れぬ姫となり真夜の洞らに心さまよふ

 

延命の薬唯一これのみと心拍遅める投薬受ける

 

ダブダブのズボンはもはやはやらなく ももひき形のスパッツをはく

 

どっぷりと地軸廻りて入陽なす残光に()る夜の緞帳

 

露月の野菊あらあら乱れ伏し地を這ふ風のままにさ揺ぐ

 

浅漬にせむと刻める玉かぶら掬ひし両手の一日匂へり

 

打水に高山人の清々とはぐくむ朝顔 青ひと色に

 

琉球の朱き(いらか)の屋根を守るシーサー孤独に夕陽に影す

 

シーサーの孤独を覆ふ碧き空なぐさむすべなく風吹き抜けてゆく

 

うから等が米寿を祝ぎて束の間や母は病魔の奈落に喘ぐ

 

自が病名知らぬ母なり知るわれのおろおろなすを逆に励ます

 

病多きわが残生のいくばくか母の玉の緒 尚も少なし

 

天竜の茶屋に()ぶる自然薯とそばと焼鮎身を養へよ

 

飛び跳ねる鮎の姿をそのままに荒串に焼く峡の奢りに

 

落ち鮎を焼ける炎の茜色伊那峡の秋ここより生るる

 

瑞穂なる豊葦原の米処ころ青田刈るとふああ勿体な

 

夏逝きて芙蓉に吹ける風やさし葉擦れさやけく鈴の実鳴らす

 

白露(ハクロ)けふ芙蓉の鈴の実に吹ける風やさしよ声あるなしに

 

再びは()ふこともなき旅の地に時惜しみつつ夜の花火見る

 

コンビナートの煙雪夜に際わだちぬ始めは赤く後は白きに

 

大漁の旗掲げ漁船泊まりをり港静もる正月三日

 

一月の海辺に立てば(から)びたる砂巻き上げて風挑み来る

 

節分の夜を込め降りし霧雨はまごうかたなき春のやさしさ

 

山茶花の新芽ほのかに香りだちみな一様に天指し向きぬ

 

入院の明日に迫りし夜に夫はロンドンフィルを聴きに誘ひぬ

 

胸に滲む思ひで夫と楽聴かむかくなることも二度と無かりと

 

癌と聞きおののきやまぬ足曳きて入院したり小雨降る朝

 

CTの検査の床の背に冷えて身体も凍る心も凍る

 

春光を弾きて昇る噴水よ命きらめく今日は退院

 

メルヘンの世界に遊ぶ心地してバラ園巡る三十五年婚(さんごこん)われら

 

花盛りのぼけの小枝につがい鳥飛び来て遊ぶ薄ら日の中

 

生まれ来る小さき命のともどもに祝福受けし今日のよろこび

 

父母の骨納めきし信濃路の旅のをはりに初雪を見る

 

靖国の子を思ひたる姑の歌 納戸の古りし箪笥より出づ

 

遺されし姑の鉄漿(カネ)つぼ形よく手頃にあれば清梅わける

 

何処(イズコ)にか花咲くならん涼風の過ぎゆく時にくちなし匂ふ

 

子等ゆきて夕餉支度の所作もなし玉葱ひとつを持ちあぐねをり

 

風まじる夜来の雨も上がりゐて子の結納の清しき朝よ

 

不思議なるもの見るごとく子猫らは蛇口より落つる水を見つむる

 

朝もやの晴れたる後の池の面のはす葉は大きく水滴抱く

 

庭草に水やりたれば紙きれの飛ぶかに小さき蝶舞ひ上がる

 

マンションの建ちて日陰となりし畑ねぎ坊主のみ(から)び残れり

 

木洩れ陽の静かに射せる石の上蜥蜴は大きく息し動かず

 

核心に触れる言葉をのみ込みて子と(むか)ひをるひととき苦し

 

大いなる宇宙の塵のごとくなる吾にも宿る小さき悲しみ

 

懸命せしことの解ければ花柄のブラウスを着て友に会ひたし

 

真澄なる五月の空を切り分けて飛行機雲の果てなく続く

 

子の乗りし機影は雲にのまれつつ真南向けて音のみがゆく

 

ゆらゆらと陽炎立てる舗装路を相乗りバイクの一瞬に過ぐ

 

喰む人も無きに実りし夏蜜柑生りしまま朽つ黄の色留めて

 

故里の深山の社訪ひゆけば寄進の鳥居に父の名のあり

 

良きことの兆なるらし長虫の姿を見する色艶増して

 

東京駅のホームに遊ぶ鳩の群 人も列車も恐れぬままに

 

ハイウェイを登り来たれば見はるかす森は樹海の底に沈めり

 

肉眼に見へざる星も映し出すプラネタリウムは空の神秘を

 

ゲーテの詩「星降る夜」をかきくれし人はいづこやオリオン仰ぐ

 

夜のしじま破りて自販機は鳴り出せり無気味に聞こゆフォスターの曲

 

ビルの背を焦がさむまでに夕茜極みし後を日の入る早し

 

豊かなる黒髪束ねし乙女子を映像に見つ若さ(とも)しむ

 

朴の葉の(から)びて散れり裏白く表素早く重ねの色に

 

乾び散る朴の大葉の裏白く表素黒し重ねの色に

 

手入せぬ鉢の小菊の茎伸びて頂のみに白花付ける

 

ろくろより手びねり好む夫成しし歪める壺にピラカンサ相応ふ

 

カーテンの隙間に光る星一つ獅子座流星群今宵放たる

 

執念に似たる情熱いだきつつ小柄な長女点訳励む

 

卒演にドビュッシーの「花火」弾きし二女子育て(けは)しとピアノ(とざ)しぬ

 

足許に散り来し枯葉一枚に歩幅あやふし杖にすがりて

 

青桐の散りそめにける舗道(イキミチ)を影曳き歩むひとり心に

 

わが憂ひ吸はれゆくべし束の間に茜色増す空の真洞に

 

(あお)北風(ぎた)に枝みな撓む竹むらの露けき暗くけもの道あり

 

水引(みづひ)()の紅つばらかに花立ちて夕陽を纏ふ針の眩しき

 

十三年住みゐて消えし三毛猫に言はずじまいの別れの言葉

 

終の地を求めゆきしか忽然と三毛猫去りぬ老いのきはみに

 

ひとつだに残る歯のなき老い猫の何処さ迷ふ夏凌ぎしを

 

高丘の落葉(から)(まつ)林 簡潔に枯枝交して風やり過ごす

 

一途にも高きに伸びしから松の鋭角に空を支ふる

 

春の雪あられ混じりに地をたたく感慨深きわが誕生日

 

マラソンの高橋尚子走破せり生れしばかりの風を背おいて

 

源氏絵の浮舟尼と囲碁なせり剃髪前夜の髪美しく曳き

 

悲運なる浮舟せめて称ふなば囲碁の名手と尼御前呼ぶる

 

源氏絵の(たま)(かずら)舟に逃れゆく銀波ほこ立つ筑紫の海へ

 

源氏絵に人の情念かいま見る扇を引きさく葵も哀れ

 

ひとひらの紙と見紛ふ白き蝶われに従き来る地下道までを

 

オゾン層希薄となりしこの星に車()るなりわれも一人(イチニン)

 

(とき)そろへつくばひに花の影落とす椿・牡丹・花蘇枋(ハナズオウ)の紅

 

古傘をお貸ししたるに(ヒダ)そろへ返されて来つ陽の匂ひ込め

 

とろとろととろ火に炊けど吹き焦げる甘き粥の香胸に沁むるも

 

軒下の椿の太枝裂かれたり瓦すべりし雪の重さに

 

闖入りの勧誘電話らちもなし断はれど断はれど又もかけ来る

 

大雪の日に産まれしと母言へり生れ日今日もきよく雪降る

 

疾走の車の揺れに仏壇の釈迦立像は常に右向く

 

海泥に生き来し残生に華の欲し歩けぬなりてそれも叶はず

 

恐竜の背骨のごとく丸まりしレントゲン写真をこれがわが背か

 

さそり座の(へそ)のごとしもアンタレス南中低く街空に見ず

 

正倉院の御物の紋様鹿柄を模せる帯 娘の背に斬新なり

 

大手術の助手をせし子は十時間待ちたる家族の心労を言ふ

 

母に一歩近くなりたる心地すると身篭る吾娘の喜びを聞く

 

事故ありし道に真白きコスモスを供へしは誰 風が揺りゆく

 

野沢菜を満載したるトラックを車窓に数ふ信濃路の旅

 

青桐の葉裏煽りて吹き抜くる夏の嵐は豪快に過ぐ

 

速歩なる吾抜きゆけしジョギングの青年は帰路か真向ひて会ふ

 

速歩にてゆく吾抜きしジョギングの青年はつかの匂ひを残す

 

外燈の光及ぼす鋭角の中鮮かに雪の舞ふ見ゆ

 

長雨に空気よどみし嫁の部屋新しき桐のたんすが匂ふ

 

父母の生れしところ渓の村訪へば野菊の今さかりなり

 

若き日に母給ひしとふ鉄漿(カネ)つぼに命日けふは供華(くげ)を活けたり

 

 ―― メモより ――

 

潮の香を背負ふ荷に込め行商す人ら乗り来たるローカル駅に

 

人見知りなす同い年の孫二人(かた)みに会へば声和して泣く

 

紫の一日花なる花(むく)槿()はまきたばこのごとく散りばふ

 

生きざまが死後の世界を支配すと仏説きにき善行なせと

 

除夜込めて降れる霧雨暖かし熱田詣での人らぬれゆく

 

着る時の無くも持つ幸のみでよしと夫買ひくれぬ長着見立てて

 

握り来て孫のくれたる宝物は暖み伝へて美しき石

 

外路樹は裸木となるもみぞれ降るこの夕暮をひょろひょろと()

 

可憐なる花にあらねどびわの花春待つ姿いとしみて見つ

 

人の子は母の胸処(むなど)に眠らむを寒空鳴きつつ猫の子はゆく

 

穂すすきのほほけし紫の(シロガネ)に柊をはなやぐ千曲川原

 

大漁と染め抜く(のぼり)鮮やかに掲げて(もや)ふ初漁の船

 

咲く花の清き白さにためらひぬ茂るどくだみ引かむとしつつ

 

着始めによろしとふ日を暦にて確かめておろす秋のブラウス

 

ひたひたとしのび寄る秋とらへたり絹のブラウス透す(はだへ)

 

コキコキと膝の関節きしみ来ぬ四年(よとせ)の速歩を止めたるゆゑか

 

電気治療を膝に受けつつ貼られある骨粗鬆の図じっくり眺む

 

弧を描くマリンブリッジの高きより()()く外風凪ぎて(もや)たつ

 

愛情の表現なるか言葉なき猫はやさしく吾を噛みたる

 

手すさびに始めし染の手習ひにろうけつに描くパイナップルの

 

死と言ふを常に隣に意識する病一つを持つ身にあれば

 

現世(ウツシヨ)の風逆らはずしなやかに生きんと定む今日生まれ日に

 

陽の差さぬ路地にも芽吹く草のあり大いなるもの春のふところ

 

人らみな眠れる真夜のラジオより流るるジャズの余韻さみしき

 

雪代の水は側溝を下りゆくせせらぎ親し春のおとづれ

 

採らるるも喰るるもなく夏柑はゆうらり冬の庭に彩なす

 

六十の手習ひなるに手すさびて?纈(ろうけつ)に描くバラのデフォルメ

 

いづくにて咲く沈丁か夜の道に香はこひり顕つ告白に似て

 

二階にはもう行けぬ足わがベッドを夫は下しぬ一日かかりて

 

物置のごとき子の部屋にベッド入れピアノと並び病む身を臥する

 

ひそと咲く白き玉花八手にも蜜生るるらし(あぶ)のまつはる

 

四月目の退院待たず三毛逝きぬ今一度わが抱きたかりしに

 

退院し「ポンコただいま」と呼んでみる餌箱もトイレも除かれし部屋

 

点滴に一日延命なししとふ臨終(イマハ)の猫よ胸に風吹く

 

わがために夫は猫の毛切りおきぬ黒白茶色と色分けなして

 

恋知らぬ我にゲーテの詩をくれし人いまいづくに老い給へるや

 

シェークスピアの人肉裁判例にあげ熱く法説く君若かりき

 

速歩なす吾に付きくる分身の影はさだかに老いを(まと)ふる

 

天も地も凍ていし夜の道ゆけば大気締りて足音響く

 

冬寒むを春の暖みに変へる雨よればおぼろに月の出でくる

 

ひと月の差にて生まれし孫二人意識し合へり二才ともなれば

 

カラフルにモーターショーではバイク置き若きらを寄す炎夜を灯して

 

住込みのナースのひなに自が子と同じに教ふ料理活け花

 

日の恵み受けめ八ツ手も花もちて春は等しく露路にもきたる

 

黄の色に(ヒイラギ)南天咲くまひる唐突にくる人の訃報は

 

いちやうにパラボラアンテナ掲げゐる入母屋並ぶ旧き街道

 

夜の道を後より車の越しゆけばわが影は足を軸とし廻る

 

カラフルに小鳥を描く送迎バス園児のさへづり乗せつつきたる

 

瀬戸海を夜発ちきたる甲板に漁火近く見るは悦しき

 

子等巣立ちひとり豆まく身の内のみにくき鬼も追ひ出さむべく

 

沈丁のほころび日毎に確かむる郵便受けに手をのばす時

 

紅殻の格子閉ざして音もなし伊吹の里は雪深く積む

 

灰色のぼた雪吸ひてなほ燃ゆるコンビナートに吹ける火柱

 

衿立てて小走りにゆく川沿ひの枯野原なびけば風の通る道見ゆ

 

人波に乗りては展巡りつつ裸婦像の前疲れ覚ゆる

 

さみどりの木立画きし作者はやいまさぬ人か黒リボン付く

 

首も手もなきトルソーのつぶやきを聞かむとしつつしばらくを佇つ

 

 

―― 雑誌に載った歌 平成元年ごろか? ――

 

昼に夜を次ぎて散りゐる棕櫚の花生きゆくもののひたすらにして

 

水溜まる歩道の窪み飛び越えて日毎通れば夢にも見たり

 

満ちて来るときめき無くも生まれ日は春の花もて鏡台飾らむ