【 第四部 その他 推敲途中のもの 】  

 

 (一枚の便箋に書かれたもの)

 

紅の(しべ)色あせて曼珠沙華風立つ野辺に花果てむとす

 

泡立草黄に波打てる川土手に立つ足近く虫のすだける

 

一面の枯野に紅濃きあかまんましたたかに伸ぶ吾背丈より

 

灯の温もり見せて新築のマンション早やも空き部屋のなし

 

(こぼ)ちたる家の跡より冬眠の蛙出てきてあはれさまよふ

 

二十世紀すぎむとなせる晩秋に同じ名の梨熟れたるをむく

 

寒暖の差はげしきに重ね着しぬぎて又着る霜月十日

 

暖かき霜月にして大き蟻の出で菓子のかけらを四、五匹が曳く

 

何ゆゑに吾にとり付く病魔なる徐々に息の根止めむとするか

 

入院のわが病室に重態の母が呼ばはる「しっかりせよ」と

 

点滴の粒きざみつつ落つる液星の雫となりて身(みた)

 

ブラインドの段透る陽の弱々と束の間照りて翳るさびしさ

 

病院のアプローチなる噴水の夜はひそけく月影写す

 

ブラインド閉ぢずに寝やう病窓に天道架かり月渡るゆゑ

 

南天の実に差す紅のいや増しに満ち来る季を吾も待つなる

 

極月の白菊黄菊乱れ伏し地を這ふ風に従きて さ揺らぐ

 

倖ひを待つにあらねど色の濃き冬のアネモネ文机に置く

 

この朝のうたてしひとつ知らずとは言へど守宮を踏み潰したる

 

千鳥とぶ模様に煉瓦敷く道をひそけく濡らす雪混じる雨

 

寒桜開き初めたる墓丘の(いしざか)にほろほろ霰ふき寄す

 

不注意と言ふべかれども口惜しもスーパーに転け膝の骨折る

 

縛されし足の痛むに呻吟すメドゥーサの髪?きむしりつつ

 

大声に泣きたき思ひ悪霊がわれの足首つかめるならん

 

酸漿(ほおずき)の朱き熟れ実の透きとほり種抱く見ゆ魂のかたちに

 

滅びゆく嘆きを杳く聞くものかインデアンハープの哀韻重し

 

寒風の呪縛解かれて(たわ)み初む雪柳の枝小手毬の枝

 

ぬばたまの闇をやぶりて位置定む白玉椿今年の初花

 

賜ひたる佃煮美味なる春もろこ薄氷ひかる水にゐしもの

 

暖かく筵のごとき日差し敷く か黒き土の上にしばらく

 

JAの緑の鉢巻締めて立つ大根白菜すぐれものなる

 

 

 (「コスモス」詠草)

粒よりの丹波黒豆炊かむとし洗ひたるまま入院なせりし

 

明日あるを信じて予定たてゐしに病院にをり師走睦月を

 

点滴の切れれば夜半をナース来て取り替へゆくも言葉(スク)なに

 

二十日余の点滴終へて起きし床腰痛はしり思はず(すが)

 

退院を果ししなれどすさまじき腰痛地獄寝るも起きるも

 

春待つや雪に紛るる沈丁花 軒端の猫と腰痛のわれ

 

いま一度病の癒えて歩きたし秋に購ひたる赤きシューズに

 

万歩計付けて幼と落葉踏み歩きし秋の元気はやなし

 

腰痛の癒えねば本を枕辺にベッドすなはち書斎となせり

 

暖かき雨に開きし沈丁花郵便受に風と触れつつ

 

夜に入りて降る雨ならし密やかに側溝くだる浅春の音

 

墓山に隣る高校のグランドの歓声明るし静と動分く

 

都心より年魚(あゆち)(がた)への道なれば阿由知通とふこの頃知りぬ

 

陸地とぞなりし干潟の名を留むよ鯛取通り喧噪の街

 

あはあはと満ち来る季を待つらむか開花の前を桜艶めく

 

枝ごとにマツス(塊)となりて咲き盛る桜の重し圧しくるちから

 

種多き蜜柑に代るネーブルの黄の鮮らけし向き向きの臍

 

スープ冷めぬ距離に子と住みわが病めばお煮付二皿タイムリーに来る

 

鈍痛の腰あげ夫と来し海辺確かに春の鼓動が聞ゆ

 

海を見て歌材捜せよ鬱晴らせ言葉やさしくあらねど夫は

 

縦横にウインドサーフィン海を馳す透明な帆の陽に燦めきて

 

サーフィンの転倒なすと見る刹那体たて直す若き飛魚

 

夜深くラジオに流すホフマンの船唄の波緩くたゆたふ

 

まなこ冴え眠れぬ夜にふと浮かぶ冷蔵庫に忘れし林檎半分

 

(つくばい)を滴る水音暗闇に聞けば遅速のリフレイン

 

握り来て生暖かき飴ひとつ幼くれにき厨の窓に

 

パパママと言ひし幼ら一夜経てお父さんお母さんに変る不思議さ

 

薬剤に心脈遅く統べられて夜ごと脈とる就寝儀礼に

 

友どちはソーシャルダンスに打ち込むになにゆゑ吾は病気の問屋

 

知るほどに病怖しと医師の夫一病を持つ己を診得ず

 

医師なれば己を診るは辛からむ曽爾(そに)太郎氏の冷静思ほゆ

 

医師として誇りを持ちて歌詠ます曽爾氏の強き夫にも欲しき

 

足病みて路上を歩む危ふさや木の葉吹きよせどんぐり転ぶ

 

看護婦が夜毎に照らし覗きたるドアー開けなむ退院の今日

 

カレンダーみな七月や三月余の入院果し帰り来し部屋

 

見舞にと()びし岡山のマスカット冷たき雫をはらりとこぼす

 

床の間に並べきれない夫の陶部屋に余りて下駄箱に載す

 

夫が手の釉薬白き蚊遣鉢月星透し自信作とぞ

 

闘志にも似たる情熱裡に持ち小柄な長女点訳なせり

 

千両の実に紅差すを待ちゐしが(ひよ)来て()めり一夜のうちに

 

カプチーノ泡泡コーヒー夫と飲むこんな余裕に今年は生きたい

 

四百年世襲に守れる禅寺の鎮もり深し塩の道辺に

 

混淆に祀られありし神々を小祠に分つ禅寺今は

 

禅寺の戒律厳し後嗣(アトツギ)のなくばうからをもろともに()

 

(いしざか)に沿ふあまた石仏冬の陽に映えて涎掛け赤く鮮らし

 

鬼やらふ声も途絶えし節分の夜を粉雪はひゅるると舞ふ

 

今様の長きスカート選びをり通院のみのお洒落用にと

 

母ならば子に付き添ふは当然と小さき母が吾の手を曳く

 

整形医に腹式呼吸教へられ五分もなせば疲れ果てたり

 

落としても割れぬコップのやうなりし吾急速にひび入り来たる

 

「開けゴマ」呪文一つで家中の戸が()けば良い骨など痛めば

 

舗道に諸枝を張るはなみづき息づくごとし雨に温みて

 

濃みどりに如月堪へし明日葉を寒の戻りの風が吹きしく

 

黒ずみて咲きゐしのみを花枇杷の実となりてゐつ柔毛を白く

 

天蓋を閉ぢたるごとく(もや)覆ふ二分咲きほどの桜むらさき

 

沈丁の花陽炎の顕つあした不意の報せあり母入院と

 

病み多く心ほそぼそ来し吾を叱咤しましき母の倒れつ

 

胆汁を抜くべく管を腹に挿し崩ほれぬとぞ気丈な母は

 

鋤かれたる黒土透ける水張(みはり)()をさざ波寄せて風の渡れる

 

手すさびに夫が作りし(スヱ)の鈴音重々ともの憂げに鳴る

 

層なせる恵那の山襞みどり濃く(ハタテ)に雪の南アルプス見ゆ

 

歩き得ずなりたるわれが丘走り川越ゆるなり朝明(アサケ)の夢に

 

眠りはたわがものならず眠剤の夢幻に緩く彼岸近寄る

 

万緑の高原渡る南風(ハエ)に対き風車発電機しろがねに舞ふ

 

水無月の風に廻れる発電機吊り輪選手の躰回るかに

 

(なみ)がくり岩礁散らふ日本海()の厳しさと淋しさを持つ

 

岩礁のささくれだてる涛の果ウラジオストックに夏満ちゆくか

 

密航は許すまじとふ立札の荒磯(アリソ)に立つに(きざ)す異和あり

 

病むといふは一歩身を引くことにして心の弱し食欲あはく

 

梅雨夕べ七里の渡し場波差して匂ひしるけくひたひた寄する

 

桑名より宮の渡しの海路(ウミツジ)や薄暮に()でよ千石船の

 

鉄線の(つる)のいましめ多にしてゆるしのごとも大き花付く

 

往還の車繁きに家揺らぎ仏壇の如来いつも右向く

 

浴びゐるは半夏生の毒をもつ雨か毒はた薬病おさへよ

 

主治医言ふ自然治癒力人にあり医療はそれを助けるのみと

 

癒え難き骨折の膝はげましてポストまで来ぬ 何のこれしき

 

翅ひとつここに残しし黒揚羽いづこの露にまみれてをらむ

 

鋭き目にて帰るわれらを見据ゑをり閉園迫る獣舎の鹿は

 

昆虫を採りて炎暑を帰りし子熱あるごとく躰の熱し

 

灼熱の昼いつか暮れ芙蓉より生るる風あり秋の気配に

 

逡巡の末に(びっこ)の足踏み出だす信号待てるダンプの前を

 

瀬戸の街はづるるグランドキャニオンの層なす陶土(カオリン)白く乾ける

 

人権を真綿に包み()ぶごとし昔の乞食今ホームレス

 

ホームレスに弁当持ち来る人のあり摩訶不思議なる現代社会

 

幼な子に右手大事と常教ふ外科医継がすと決むるわが子は

 

病院にまでもファッションはばからず子連れの母の厚底サンダル

 

痛む骨(こら)ふるよりも逝きたしと受診待つ間を皆が言ひ出づ

 

お洒落なる紅き細身の杖貰ふこれもアクセサリー構へず持てと

 

先進国日本と言ふもおこがまし核のづさんさ世界に恥づる

 

知識なき吾も知りたり臨界とふ核分裂のひとつ過程を

 

彼岸花背高く伸びて(なび)かへり赤き海原波たつごとく

 

色赤き梅の実はどの姫りんご出荷の箱のサンフジ飾る

 

「ウッチン」と称ばるる薬 莟に賜ぶ沖縄産の強肝()(コン)

 

推奨の健康食品アガリクス、霊芝、鬱金らみな高価なる

 

半年に一度の胃カメラ、CTの検査日決まりむしろ落ちつく

 

秋空の真澄の下の日本国一歩一歩と(タマ)捨てて往く

 

遷都などどうでもよろし真剣にとり組むことの多くあらうに

 

川添ひに黄の帯延ぶる泡立草下辺にすすき銀の采振る

 

オリオン座の胴ひき締むる三ツ釦立冬の空かーんと冴えて

 

半切りの白菜ふたつ()(バカリ)に長く迷へり異国の女

 

娘らの背の皆高くGパンのヒップ目の前スーパー混みて

 

癒ゆるなき足もてゴキブリ押へたりその残酷をおのれ思へど

 

病める身の鬱放たむと色古りし「アンデルセン」など又出して読む

 

ケ・セラ・セラ病 気にせず腰据えてわたしの運も好転すらむ

 

見目の良き細身の赤き塗の杖アクセサリーよと嫁の呉れたり

 

山茶花のつぼみは真珠の花(ツブテ) (ユル)みて仄と紅差し初めぬ

 

受験期の孫ら声張り謳ふなり第九シンフオニー「歓喜の歌」を

 

論文の纏めなさむと子が言ひて夜半点す灯をわれら目守る

 

眼科医の検診台の廻転に思はず転びそれよりの惨

 

又またも不意の災難われ襲ひ一歩も歩めぬは何の呪いぞ

 

臥しをれど多忙きはまる年の瀬に現役の主婦吾はも焦る

 

敬虔な祈りに(カウベ)垂れゐるにヨヴの苦難を神よ給ふな

 

縁起よき恵比寿講の笹造る(ミセ)しもた家風なり塩の道べに

 

初恵比寿の商ひ笹の手作りに師走のみなる舖のはなやぎ

 

恵比寿講の笹賑々(にぎにぎ)と小判吊り才槌(さいづち) 熨斗(のし)など福呼び飾る

 

藤色に茜移ろひ()()ると宴の緞帳()()る夕空

 

太き枝の葉ながら折りし白椿嫁の添へたり祖母の柩に

 

若き歌手の呪文のごとく唱ふ聞き老人パワーはマイナスとなる

 

正月の迫りて又も?倒し寝たきりスズメ何と口惜し

 

レントゲン検査に夫は吾を負ひ病院に来ぬ師走三日を

 

足どりの危ふき夫の背に揺られ腰痛切なし嗚咽をこらふ

 

背負はれて泣く吾の後弥次馬の猫ら従き来る駐車場まで

 

病気怪我多きわたしに付き合ひて米などを浙す夫哀れなり

 

キッチンに立てぬ腰痛臥しゐつつオムレツ十皿も焼きし日思ふ

 

賑やかに娘道成寺の幕下りて散りし桜花の残像顕てり

 

仰ぎ見るから松林簡潔に枯枝を組めり冬丘のうへ

 

直截に高きに伸びて千枝繊くから松の梢空を支へをり

 

紅椿太枝に裂かれ生々し瓦すべりて落ちたる雪に

 

雀らは高き視野より見てをりぬパン屑土に撒ける仕草を

 

春の雪あられ混じりに地を叩くかかる生れ日いまだなかりつ

 

しだれ梅見むと来たれる人多く休園日をも扉ひらかる

 

ひと丘に紅梅白梅盛り咲き農業センターかくも混みあふ

 

ちりばめし梅花重にしだれるに樹形の硬し「玉垣枝垂」は

 

お子達を連れて受診に来られたる島根の杉原さん「コスモス」の人

 

杉原さんに投薬なししそれのみの四、五年なれどお顔忘れず

 

孫さんを詠まれし歌を常拝す先輩杉原さん(シルベ)なりける

 

たずさへて夫と励みしこの医院共に老ゆれば閉ざす日も来む

 

外科医なる子には聴診器こなせない教へおきたしと夫は焦りぬ

 

手抜きして買ひし総菜味濃きをあへて(タウ)べて足腫み来ぬ

 

尺ほどを隔てて植ゑし藤育ち絡みからみて棚にこぞれる

 

藤蔓の棚を覆ひて咲く花の紫は垂り白は毬なす

 

紫と白きと藤の相巻きて入り組む太枝連理と言はめ

 

南風(ハエ)渡る空の息吹と()が息の凝りて重く散る藤の音

 

藤棚の下に今日来て甘酢ゆき落花まんだら浴びつつありぬ

 

一粒の水を抱ける里芋の広葉を支へ茎ゆるぎなし

 

絵手紙の紫芙蓉あなさやか義妹の落款でんと捺されて

 

命あるうちにと微熱ある母が語部のごと自が過去宣らす

 

香道の侘と優美さ案内なす声(しず)かなる白髪の人

 

この歳になれば恐るるものなしと母気丈なり看取るわれらに

 

哀れとも思ひしか技士脈略もなきに釧路の鶴の絵くるる

 

気負ふなく日本画に込む百余歳小倉(オグラ)()()さんふと逝き給ふ

 

明治より平成の世へ絵筆とる遊亀画伯の絵みな瑞々し

 

二代目の庭師が伐りて思はざる庭の姿や樹々変わらねど

 

コルセットの縛に吹き出す汗疹に天花粉やさし三十年前の

 

陽の光あまねく受けて色を増すブーゲンビリアの豊饒の紅

 

街路樹にカセットテープ絡まれり何の楽をば流すにあらむ

 

肩パット薄く入りしパジャマ着てひと夜肩の荷下りぬ心地す

 

鼓笛隊内耳狭しと行き交ふは何の予兆か熱帯夜けふ

 

膝病みて籠り居三年血色の失せて白雪媼となりぬ

 

家籠りの長きに乾ぶわが身なれ鳥の持ち来よ赤き木の実を

 

季巡りバラ・アマリリス花掲ぐ手入れもせぬにたっぷりの赤

 

滅入りたる我を励ますとりどりの花に礼言ふ言葉を添へて

 

雫なす雨後の芙蓉の葉がくれに蝶二羽舞へり幻ならず

 

身障者手帳頂き登録に良くも悪くもなき写真(すぐ)

 

海が呼ぶ海小屋番の老が待つ行かねば夫は海に捨てらる

 

遠泳に落としし眼鏡が招くとぞ夫海へ行く老いたる今も

 

長雨の止めど小暗き朝庭に袖濡らしつつ紫陽花を切る

 

並幅の布流すかにファクシミリ言霊を吐く刻ながながと

 

わが余生見きはめたるか夫焦り沖縄旅行のプランたてたり

 

沖縄は兵の奥津城降りそそぐ陽は明るけど翳り仄見ゆ

 

「守礼の門」朱きをバックに写真とれと紅型着し娘着物もて呼ぶ

 

米軍の基地はフェンスに相隔て椰子並木伸ぶ嘉手納エリアは

 

脳死者の臓器を死ぬ程欲しと言ふ人よ心は敬虔にあれ

 

豊葦原瑞穂の国に生まれしを箸持てぬ人あまりに多き

 

みめ()しき人ぎこちなく箸持つをテレビに見つつおのれ恥かし

 

港湾ゆ潮差すゆゑか堀川の梅雨煙る面の(さざなみ)小さし

 

貯木なす切出し丸太ぬめらなり苔照るまでを川に浮かせて

 

一途なる少年なりしと叔父の言ふ尋常小学の級長の父

 

形見なる桐の文箱に父付けし級長の房また(しま)ひおく

 

硝子体手術後の目にいまだしも視力戻らず歪みて見ゆる

 

なめくじを踏みつぶしたる靴下のぬるぬるなりしいのちはかなく

 

(アオ)北風(ギタ)に散り落つ朴のひとつ葉の表 す黒し裏の真白し

 

約束のごとく茎立ち直截に彼岸花咲けり花火のさまに

 

五百匹に至る羊を数へつつ入りし眠りに羊雲乏く

 

眼科医のさらりと言へり眼球に管刺して硝子体抜くのみなどと

 

漆黒に色を変へたるわだつみの水平線より夜こぞり来る

 

わが掛けし無気味な網の眼帯に見舞ひの幼 声なく見詰む

 

夫残し入院をせりこんな時猫よ厨をきりもりせぬか

 

咲き(ドキ)も散り季も雨しとど降り今年の桜の(つい)を見ざりき

 

現代の風しなやかに受けとめて八十六の母折れもせず生く

 

(をち)方の桜の木群咲かざれどうすくれなゐの(もや)(かづ)ぎぬ

 

掛け替へし看板モダンなり老い夫と今しばらくの生業(タツキ)灯さむ

 

散水車が水の微粒子撒きて過ぐ夕の虚空に虹を生みつつ

 

点眼に瞳孔開かれ待つわれや何もなし得ず虚ろに坐る

 

時の間を幽けくもえしうたかたの散る桜ばな帰らざる友

 

雑草といへども名を持つ庭草の萌え柔らかきさみどりを引く

 

春曇る空に黄砂の広がりて花粉群飛びつばくろの飛ぶ

 

今日ひと日吾のこなさむ仕事あり朝の鏡に紅うすく引く

 

死の淵をさ迷ふ猫の名を呼べば尾にて応ふるわずかに振りて

 

せめて死は安らかに来よ壮絶に耳で生き来し盲目(メシヒ)の猫に

 

暗黒の世界に十年生きて来し廃猫メクチャン虹を翔けゆく

 

青梅はホワイトリカーに馴みつつ蜜を醸しぬまどろみながら

 

大げさに言ふにあらねど梅漬けは主婦の腕見す夏の手仕事

 

明日毀つ家なれば思ひ出拾ふごと部屋を巡りぬ礼を言ひつつ

 

ほったりと落ちゐる椿雨に朽ちやがて還らむ土の色なす

 

唐突に吹く春嵐はスチロールの箱さらひゆく舞ひ揚げしまま

 

昨日抜きて畑に積みおくたんぽぽの未だみづみづと花立ち上がる

 

己こそ最後の日本人と胸を張る昭和ひと桁夫の口ぐせ

 

花芽立つ桜若木に寄りて聞く()(ダマ)脈うつかそけき音を

 

古本の持主いかなる人なりき桧を詠みし歌の書きあり

 

縁ありてわが手に入りし歌の本ひもとけば顕つ先達の影

 

雪代の水は側溝を下りゆくせせらぎ親し春のことぶれ

 

愛情の表現なるか言葉なき猫抱きやればやさしく噛みぬ

 

みどり児に白き乳房をふくまする母となりし子眩しみて見つ

 

秋の蝿鈍く動きて窓に寄る叩かむとして手をとどめたり

 

葬りには関りもなく斎場の崖鮮らかに蔦もみじ燃ゆ

 

人ならば透析ものと獣医師は病む廃猫の治療奨むる

 

人間の(たぎ)つ血潮の音といふ双手に塞ぐ耳の鼓動は

 

嶮しさを喘ぎつつゆく歌の道 胸突八丁のり切れと夫

 

永遠に終りなき曲「未完成」ひとり夜寒に聞くは寂しき

 

ひぐらしの声聞かぬまま夏は逝くものみな酷暑に疲れし夏が

 

雨乞ひの神事に願ひ託せどもいよよ雨なき八月の(まま)

 

伊吹嶺の()より湧き立つ夏の雲日の没つ空と茜かさねて

 

飛騨路にて求めし伽羅の(ねり)(こう)は帰途を匂へり(つと)の袋に

 

とろとろとまどろみにつつ漬梅は紫蘇に染みゆく玻璃(はり)のうつはに

 

いちやうにパラボラアンテナ揚げゐる街道沿ひに並ぶ入母屋

 

侘しさの兆す秋にもひとときの華やぎのあり紅葉燃ゆるは

 

落葉炊く煙に咽せて見上ぐ空 宵の明星またたき初めぬ

 

飼ふほどに裡の深きに魅了され なからひ長し孤高な猫と

 

丹念に姑刺しましし雑巾か納戸の古き箪笥より出づ

 

「奥さんのことは一生忘れぬ」と巣立つナースに吾もさしぐむ

 

広辞苑のそびらも?めぬ手となりて腱鞘炎の悩みいや増す

 

石仏の礎石も清く洗はれて新年(ニイドシ)を待つ古りし禅寺

 

忘れゐし腱鞘炎の又痛む幼のつむり撫でてやる時

 

魁夷展の「青の世界」に浸りきて公孫樹(いちょう)並木の黄落(こうらく)に立つ

 

いねがてに初句の浮かべばうとうとと夢見の間をも歌に拘はる

 

この通り元気と胸張る弟は既に癌もつ身にてありしを

 

賜はりし手作りおはぎは母の味十勝小豆の甘みほど良き

 

なきがらの父を守りて帰る道青き月光沁むるばかりに

 

幼くて疎開なす日日親しみし黒部の激流目瞑れば顕つ

 

歌読むを奨める夫はコスモス誌の届けば吾より先に封切る

 

石を積む義朝の墓苔むして日差し通さぬ木立が囲ふ

 

踏切も速度落さず走り過ぐ赤き電車は陽炎まとふ

 

倉庫のみ並ぶ埠頭に人気なく犬一匹が遠く海見る

 

献体をなしし人らの魂祀る石塔清く囲ふ小手毬

 

調薬の白衣を脱ぎて緊張の解けゆく時にコスモス誌読む

 

(くら)き日のアルバム繰ればはらり落つわが見合写真セピア色なる

 

久に訪ふ墓前に生ふる荒草の中に一本もじずりの咲く

 

海原ゆ直ちに入る滑走路南国宮崎びろう樹の陰

 

 

 

 

 

 

 

 【 母の死を悼んで佐藤友美様が詠んで下さった歌 】

 

   美樹子様にささぐ

 

母と子の二人を親しき友として生き来し年月もうかへり来ぬ

 

師走四日睦月二日に逝きましし母子をなげく水仙見つつ

 

歌集をば出さむと励みゐまししに沢崎美樹子氏逝きます

 

死化粧に映えて絞りの紫の着物相応へりみ柩のなか

 

常のごと悔み受けますご夫君の白菊にほふ祭壇の前

 

夜半の庭幽か音せり逝きし友心残せる歌あまたあり

 

雪降らす雲ふと切れて新春の光りは射せり君が柩に